石内都とは?結婚情報や本名、カメラで撮る世界に隠された思いを考察

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彼女の母が生きていた頃、二人の仲はお世辞にも良かったとは言えなかったという。
そして、その関係は最後まで改善されることはなかった。
和解する直前で彼女の母親は亡くなったのである。
 
後に、母の遺品を写真に収めているが、そのきっかけは、少しでも母親の考えを理解するためだったようだ。
 
母の遺品は彼女に残された最後の母への手掛かりだからこそ、そう思ったのだと感じる。
 
 
この出来事こそ石田都の原点であり、これまで写真に収めてきた作品、すべてに通じる彼女の隠された思いなのだ。
だからこそ彼女は母の名で活動するのだろう。あの時の思いを忘れないために。
 
彼女の撮影する写真は、人の体の傷だったり、亡くなった方の遺品だったりする。
 
体の傷はその人の人生を表している。その傷を取り続けている彼女は、その傷を通じて、その人自身を知ろうとしているのだろうか。
 

石田都のカメラに隠された思い。仕事の流儀とは?

 
石内都さんは、自身が残す作品に対する思いをこのように語っている。
 
撮影では、当時のフリーダが着たらこんな格好になるんじゃないか? ということを想像して、立体的にととのえて撮るんです。だから私の写真は創作なんですよ。遺品という現在のかたちをただ単に素直に撮っているわけじゃない。それは『ひろしま』でも同じです。
 
写真家は、テーマとなる被写体について事前に予備知識を仕入れてから、撮影に臨むことが多い。
 
しかし、その知識は何の役にもたたないと彼女は言う。
それは実物を見て、そこで見たものから様々なことがわかるからのようだ。わかるというよりも「伝わってくる」という方が正しいのかもしれない。
 
だからこそ、その感じた思いを写真を見た人に、ダイレクトに伝わるよう魅せる。そうして作り上げた写真だからこそ、創作と呼ぶのだろう。
 
そして、その伝わる思いというものこそ、痛みである。
 
他人の痛みというのは究極的には誰にもわからないものだと思います。私もフリーダの遺した薬や、広島の被爆者たちを見て、「想像を絶する」という言葉の意味が初めて実感としてわかったんです。
引用元:CINRA.NETより
 
想像を絶するという言葉は、皆さんもご存知のように「想像もできないようなできごと」に対して使われる。
想像できないからこそ、他人の痛みは誰にも理解できないのである。
 
石内都さんは、その理解できない痛みを「理解できないけど、何か伝わってくる思い」を写真というツールを通じて、表現しているのではないだろうか。

まとめ

今回は、他人の人生を痛みを通じて理解しようとする、独特の世界観を持った写真家「石内都さん」について記事を書いてみた。
 
彼女のその本物しか写真に残さないという仕事の流儀は、生産性が重視されがちの現代社会の中で、忘れられた大切な考え方だと改めて実感した。
 
本物を見続けてきた彼女にだからこそ、たどり着いた答えなのだろう。
 
 

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