杉山恒太郎の経歴やプロフィールも元にデジタル広告の変化と今後を見る

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日本を代表する表現者、杉山恒太郎についてこれまでの経歴やプロフィール情報を元に、彼がどんな人物なのか、そして、どんな考えをもってこれまでの広告業界を牽引してきたのか、記事にしていこうと思う。

広告は、私達の生活の中のいたる所に存在する。そして、インターネットの普及と共に、そのあり方も変わってきた。

そして、AIやロボティクスなどの分野が頭角を現しはじめる、これからの時代に必要な広告のあり方についても、杉山氏自身の考えを調べ、この記事で紹介していきたいと思う。

前置きはこれくらいにして、さっそく記事をかいていこう。

杉山恒太郎の経歴やプロフィールについて

杉山恒太郎(すぎやま こうたろう)は、世界からもその実力を認められた日本を代表する広告クリエーター。

現在も株式会社ライトパブリシティというデザイン会社の代表取締役執行役員 副社長である。そして、クリエイティブディレクターも勤めている、日本では数少ない「エグゼクティブ クリエイティブ ディレクター」でもある。

 

エグゼクティブ クリエイティブ ディレクターとは、企業などの経営幹部でありながら、クリエイティブディレクターという、製作物の企画から制作、納品というすべての過程を一気通貫して見届ける現場の総責任者を務める役職である。

 

ちなみに、クリエイティブディレクターという職種がある業界は限られ、マスコミ業界や編集プロダクション、広告代理店などで採用されている。

 

彼の出身は東京。

杉山恒太郎は1948年に生まれ、大都会、東京で育った。

立教大学経済学部を卒業した後に、電通入社し、クリエイティブ ディレクターとして活躍していた。

 

1974年に入社した彼は、デジタル部門に配属されるまでの間、小学館『ピッカピカの一年生』キャンペーンやセブンイレブン『セブンイレブンいい気分』などの名コピーを誕生させており、デジタル広告に携わる前から、トップクリエイターとして最前線を走っていた人物でもある。

現在でもその名コピーを知っている人は多く、今でも使われている名コピーは多い。

 

そして、デジタル広告の黎明期に、アナログ広告の部門からデジタル広告の部門へと異動している。

当時の電通ではCMやグラフィック広告などが主流で、そういった広告を手がける部門が花形部署であったため、当時の異動について、あまり良いイメージを持っていなかったようだが、当時の経営陣はまったく逆の考えだったようだ。

 

彼が異動した時期は、世間ではWindows98が発売され、大騒ぎになっていた頃で、一般家庭にもパソコンが普及しはじめていた時代。

今でこそ、「IT」や「インタラクティブ」なんて言葉も意味が通じるが、当時はその言葉の意味を理解している人は少なかった。

つまり、それだけインターネットというものが一般的では無かった時代なのだ。

 

そんな時代にデジタル広告部門の舵を取ったのが、杉山恒太郎であった。

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