皆さんは、杉山三郎という人物をご存知でしょうか?
プロレスラーにも「杉山三郎さん」がいらっしゃるようですが、今回の杉山さんはその人ではありません。
実はこの杉山三郎という人物、ある業界でとても大きな功績を残した人なんです。
そのある業界というのが、「考古学」の分野。
考古学者というと、謎多き職業ですよね。一般的なイメージとしては「遺跡を調査している仕事」
あたりを想像するのではないでしょうか。
ちなみに、この杉山さんですが考古学界でも、めずらしい方のようで、
検索エンジン上にも「考古学 異端」なんてワードが表示されています。
ということで今回は、考古学者である杉山三郎(すぎやま さぶろう)さんについてご紹介したいと思います。
主にこの記事では、杉山さんのプロフィールやこれまでの学歴、そして、結婚などのプライベートな情報をご紹介しようと考えています。
また、なぜ検索エンジン上に「考古学 異端」と表示されているのか?本当に杉山三郎さんは異端なのかも調査してみましたので、ぜひ、最後まで読んでみてください。
杉山三郎(考古学)のプロフィールと学歴

まずは、杉山三郎さんプロフィールからご紹介したいと思います。
杉山さんの本名は、「杉山三郎」(すぎやま さぶろう)さんといい、65歳の考古学者の方です。
出身は静岡県の焼津市で、漁師の町として栄えています。
焼津市の特産品は、漁師町ですので「さしみ」や「かつお節」などが有名なようですね。
また、「うなぎ」なども特産品としてあります。
職業は、学者で「考古学」や「人類学」などを専攻されています。
現在は愛知県立大学で教授としてお仕事をされているようですね。気になる学歴についてですが、博士号を取得されていますので、大学は卒業されています。
ちなみに出身大学は「東京経済大学 経済学部」を卒業されています。
ここでお気づきになられた方もいると思いますが、出身学部は「経済学部」なんです。
もしかすると、この経歴が考古学者としては珍しく、異端なんて呼ばれているのかもしれません。
ただし、これだけでは考古学者にはなれませんので、他にも秘密がありそうです。
もう少し調べてみましょう。
するとこんなことがわかりました。実は杉山さん、アリゾナ州立大学で人類学部も卒業されていました。
そこで人類学の博士号を取得されています。
もっとわかりやすいようにこれまでの経歴を時系列順に並べてみましょう。
杉山三郎の経歴について
■これまでの経歴
- 1974年 東京経済大学 経済学部卒業
- 1978年 メキシコ国立 人類学歴史研究所に入所(ボランティア)
- 1995年 アリゾナ州立大学 人類学部博士課程 修了
- 1999年 愛知県立大学 助教授に就任 その後、教授へ
ざっくりとした経歴はこんな感じです。
杉山三郎さんが、考古学者を目指すきっかけとなったのが、東京経済大学、在学中に経験したアルバイトの存在がありました。
そのアルバイトというのが、「遺跡発掘調査」のアルバイトだったそうです。
ちなみに、杉山さんは「プロフェッショナル仕事の流儀」にも出演されていますが、このアルバイトについてこのようにおっしゃっていました。
「出土品に触れ、古代の人々と繋がったような感覚を覚えた」
感覚というのは、体感した本人にしかわからないものです。
私が同じような体験をしたとしても、おそらくこのように感じることはなかったでしょう。
杉山さんの他の人にはない「感性」がそう感じさせたのだと思います。
その感性があったからこそ、後の大きな功績にも繋がっていると感じました。
とある本との出合い

杉山さんは、このアルバイトを経験して、考古学の世界に興味を抱くようになりました。
そして、とある本と出合います。
その本は、メキシコ文明について記載された本で、古代遺跡についても載っていたようです。
この1冊の本との出会いが、杉山さんの人生を大きく方向転換させます。
杉山さんの原点である、この本がとの出会いがなければ、古代文明「テオティワカン」の謎は今よりももっと謎が多かったことでしょう。
こうして人の人生に触れると、これから経験する「すべての出来事や出会い」に意味があるのだと感じさせられます。
だからこそ、すべての出来事や出会いを大切にしないといけないのかもしれませんね。
しかし、「それができれば苦労しないよ」なんて思う自分がいたりします ^^;
と話がそれましたが、この本との出会いがきっかけで、杉山さんはその後すぐにメキシコへと足を運びます。
メキシコに渡ってからは、マヤの大予言で有名な「マヤ文明」やアステカの祭壇で有名な「アステカ文明」を調査する調査団に同行依頼をして回ったそうです。
そして1978年にメキシコ国立 人類学歴史研究所にボランティアとして入所しています。
ちなみに、このメキシコ国立人類学歴史研究所に入所したときは、当時26歳だったようです。
ボランティアということなので、生計はアルバイトなどで立てていたのでしょう。
生活は決して裕福とは言いづらいものだったと想像できます。
ですが、好きなことにまっすぐ向き合う時間は、とても楽しかったはずです。厳しい生活の中でも、自分の目標とするものがあったからこそ、頑張れたのだと思います。
「目指すべきゴールがあるからこそ、そこに希望を見出せる」
なんて言葉を聴いたことがあります。杉山さんもまさにそんな感じだったのだと思います。
考古学者になる最大のチャンス

それから2年後の28歳の時に転機が訪れます。
その転機というのが「テオティワンカン文明」の発掘プロジェクトに参画することでした。
当時は採掘作業員としての参加だったようですが、そこで「ちいさなお墓」を見つける成果を挙げます。
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